「その店は、栃木の空の下、堂々とそこに在る。」
今回のコラム『ソトとメシ。』は、煮干しラーメンの聖地「めんや天夢」への潜入取材だ。
同行者は、自称・天夢マニアの料理 涼(リョウリ)。
そして、今回が「セメント系」初体験となる私、星名 寧亜(リネア)でお送りする。
【取材協力:めんや天夢様】 ※本記事の執筆にあたり、店主様より多大なご協力と掲載の許可をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
南の空の下、灰色の扉を開く。
栃木の静かな街角に漂う、濃密な煮干しの香りに誘われて。私たちはついに、至高のラーメンが待つ『めんや天夢』の扉の前へと辿り着いたの。
駅から南へ、香りを追って
栃木駅の南口を降り、真っ直ぐに伸びる通りを南へと進む。
住宅地も近く、視界のひらけた穏やかな景色。
観光地としての「蔵の街」の喧騒とは無縁の、静かな時間が流れている。
そんな平穏な街角に、突如として異彩を放つ一角が現れた。

リョウリ
着いたよリネアちゃん! ここが『めんや天夢』。 駅から一本道。迷いようがないほどオープンな場所にあるけど、中身は栃木県屈指のディープな煮干しワールドだよ!
リネア
……ふふ、意外だわ。もっと複雑な路地裏に隠れているのかと思っていたのだけれど、こんなにひらけた場所にあるなんて。隠れる必要なんてない……そんな自信に満ちたメロディが聴こえてくるようだわ。換気扇から漂うこの濃密な香り。私の心を、早くも捕らえてしまったみたいね。
券売機との対話(予期せぬスマイル)
暖簾をくぐると、さらに色濃くなった煮干しの香りが、もはや「質量」を感じさせるほどに鼻腔を突く。
まずは券売機との対面だ。リョウリの指が、淀みなくボタンを選んでいく。
リョウリ
まずはメインの『煮干らーめん【ヤバニボ】山椒』! それにコクを出す『にぼブー』と、濃縮された『煮干し愛』!
これが私流の『フル・チューンナップ』だよ!

……あら? そうなの? メニューにこんなに素敵な言葉が並んでいるなんて、まるで物語の序章のようね。そういえばここに来る途中に言っていた悪魔がないようだけど。
リネア
リョウリ
フフフ、『悪魔の和え玉』は席に着いてからの現金コール制なの! 煮干しの深淵を見た後にしか召喚できない特別な存在なんだよ。
リネア
ええ、わかったわ。……あら? ふふ、リョウリちゃん、見てちょうだい。 券売機の片隅に、なんだかとても……心がほころぶような言葉が並んでいるわね。 このボタン、一体どんな旋律(しらべ)を奏でてくれるのかしら。ふふ、楽しみだわ。
私の視線が、券売機の隅にある、一風変わった項目に止まった。 『スマイル 0円』。
リネア

リョウリ
ええっ!? リネアちゃん、押しちゃったの!? それ、メニューにはあるけど、普通は誰も押さないよ!? 勇者なの!?
あら、そうなの? てっきりメニューにあるのだから、何か特別な意味が込められているのかと思っていたわ。 店主さんが心を込めるための、大切なおまじないのようなものかしら。 その笑顔が加わるだけで、この一杯にまた新しい調べが生まれて……さらに美味しく変わってしまう魔法のチケット。ふふ、素敵な物語ね。
リネア
リョウリ
あはは、深読みしすぎ! でも面白い! このストイックな空気の中でスマイルを要求するなんて、さすがリネアちゃんだね。 これは、店主さんの『愛』の扉をこじ開けちゃうかもしれないよ?
カウンターの作法
セルフサービスで水を汲み、案内された白木のカウンター席へ。 私が食券をテーブルに置こうとすると、リョウリちゃんがスッと手を出して制した。
リョウリ
ノンノン、リネアちゃん。 ここでは食券は手渡しでも、テーブル置きでもないの。 ほら、あそこの上部カウンターに『挿す』んだよ!
一段高くなったカウンターの縁。そこに食券をパチリと並べるのが、この店の、そして店主とのコミュニケーションの「作法」らしい。

ええ、わかったわ。……(食券をそっと、カウンターの上に置いて) ……ふふ。これだけで、言葉を交わさなくても想いが響き合うのね。 店主さんのひたむきな調べを乱さないための、静かな優しさの形……。 なんだか、とても穏やかな物語を感じるわ。
リネア
厨房からは、麺が熱湯を潜る音と、無駄のない動作で丼が用意される気配が伝わってくる。 私語を慎み、ただひたすらに「その時」を待つ。 この心地よい緊張感もまた、名店にのみ許された至高のスパイスだ。
灰色の海と、隠された愛。
静謐な店内に、再び麺の湯切りの音が響く。 リョウリちゃんが期待に目を輝かせ、上部カウンターごしに注視する中、まずは「主役」に先んじて、その世界を構築するための精密なパーツたちが姿を現した。
調律の序奏:奥様が運ぶ「精鋭パーツ」
厨房からスッと現れた奥様の手によって、まずは豪華なトッピング皿と、小さな片口(かたくち)が供された。
天夢の流儀――それは、まず麺とスープの純粋な質感を堪能させるため、具材を別皿に分けるという「挑戦状」でもある。
リョウリ
見てリネアちゃん、これが別皿の精鋭たちだよ! 大判のチャーシューに、煮干し粉を纏った極太のメンマ、そして鮮やかなスプラウト、海苔(食べちゃったけど)。 ……そしてこの片口に入っているのが『にぼブー』。ほんのり温かい、漆黒のペーストオイルだよ。これを後で投入することで、香りの次元が変わるんだ!


あら、驚いたわ。こんなに立派なメンマにまで、煮干し粉がそっと寄り添っているなんて。 どこまでも煮干しを慈しむお店の想いが、優しい旋律(しらべ)になって伝わってくるようだわ。 それに、この黒いオイル……。指先に伝わる柔らかな温かさと、漆黒の中から溢れ出す深い香りに、胸の奥が静かにざわめいてしまうの。 一滴ごとに、大切な想いが閉じ込められているみたいだわ。 ……ふふ、この香りの向こう側には、一体どんな景色が待っているのかしら。
リネア
灰色の小宇宙、店主のスマイル
そしてついに、店主がメインの丼を手に現れた。
店主は上部カウンターに挿された食券を順番に確認していく。
そして、私が好奇心で投じた「それ」に視線がいった瞬間、店主の動きがわずかに止まった。
店主: 「……お待たせしました。ヤバニボ山椒です。」

……ふふ、見えたわ。店主さんの瞳が『スマイル』の文字に触れた瞬間、旋律(しらべ)がふっと優しく揺れたのが。私の小さなお願い、ちゃんと心に届いたみたいだわ。 ……それに、見てちょうだい、リョウリちゃん。この可愛らしいうずらの卵。三つ仲良く、寄り添うように並んでいるわね。 この静かな一杯の中で、この子たちはどんな役割を持っているのかしら……。 ふふ。なんだか、まだ私の知らない素敵な『秘密』が、この物語には隠されているような気がするわ。
リネア

リョウリ
やったねリネアちゃん! 店主さんのスマイル、超レアだよ! しかも見て、うずらが3個ついてる! これ、本来は有料のトッピングなんだけど……常連の私への『愛』と、リネアちゃんの『スマイル』への、店主さんからのアンサー(サービス)だね!
……中央に添えられた玉ねぎと山椒のコントラスト。まるで冬の静かな景色を切り取った一枚の絵画を眺めているような、完璧な調和(バランス)を感じるわね。 それに、この灰色の海……。その静寂(しじま)の奥には、一体どんな真っ直ぐな想いが秘められているのかしら。 まずはこの旋律(しらべ)に、静かに、大切に触れてみたいと思うわ。
リネア
「調律」された煮干しの深淵

私は赤いレンゲを手に取り、まずは具材を崩さぬよう、端のスープを静かにすくい上げた。
視覚的には無機質なセメント色だが、そこには確かな命の輝きが宿っている。

(一口含んで、そっと瞳を閉じる……) ……あら。……なんて深く、力強い響きかしら。 煮干しの力強い苦味と、豊かな旨味が……ひとつの大きな波になって、私の心に真っ直ぐに語りかけてくるようだわ。 それなのに、驚くほどに澄み渡っていて……。余計な響きが一つもない、研ぎ澄まされた純粋な旋律を感じるわね。 そこに山椒がふわりと混ざり合うと、爽やかな調べが光のように差し込んで、この重厚な海に道標を示してくれる……。 作り手のひたむきな祈りが形になった、奇跡のような物語。
リネア
リョウリ
でしょ!? ただの『濃いラーメン』じゃない。煮干しのポテンシャルを限界まで引き出した、一つの『作品』なんだよね!
プリパツ食感が奏でる旋律

続いて、麺をリフトアップする。スープをたっぷりと纏(まと)った、低加水の極細ストレート麺だ。

ええ、いただくわね。……(ズルッ、と啜り上げる) ……ふふ。なんて小気味よい、楽しいリズムかしら。 モチモチでもツルツルでもない……そう、『プリパツ』という調べだわ。 歯を立てるたびにパツンと弾ける、この心地よい響き。噛み締めるたびに、麺そのものの香りが濃厚なスープと溶け合って、完璧なアンサンブルを奏でているわね。 ……お箸が止まらなくなってしまいそうだわ。 物語は、次の章……具材たちとの出会いへと進もうとしているのかしら。
リネア
具材の遊戯〜煮干し愛とにぼブーによる「超進化」
純粋なスープと麺の洗礼を終え、いよいよ別皿に控えていた「精鋭パーツ」たちを、この灰色の海へと解き放つ時が来た。

白い宝石、驚愕のテクスチャ
私はまず、サイドに並んだ3つのうずらの卵のうち、1つを口に運んだ。

あら……驚いたわ。うずらの卵って、どこか控えめで、少しだけお口の中が寂しくなってしまうイメージがあったのだけれど……。 この子は、全然違うのね。 とろりと溶けていくような、優しくて柔らかな調べ……。 この小さな一粒の中にまで、店主さんの真っ直ぐな想いが、魔法のように閉じ込められているみたいだわ。
リネア

リョウリ
そう! その半熟具合が最高なんだよね。濃厚なスープの箸休めに見えて、実はしっかり主役級のクオリティなんだよ!
シルキーな誘惑と、深淵(しんえん)へのダイブ
続いて、別皿の大判チャーシューへ。美しいピンク色をした低温調理の逸品だ。

まずは何も添えずに、このお肉が奏でる純粋な旋律(しらべ)に触れてみたいわ。(一口かじる) ……あら、ふふ。素敵だわ。絹のように滑らかな調べが、お口の中で優しく広がっていくのを感じるわね。 噛み締めるたびに溢れ出す甘みと旨味は、まるで心をそっと包み込んでくれるような……そんな穏やかな物語を奏でているみたい。 これだけで、美しく完結したひとつの物語と言えるのかもしれないわね。
リネア

私が感心しながら二口目を食べようとしたその時、リョウリちゃんが楽しげに囁いた。
リョウリ
ちょっとストップ、リネアちゃん! その完成されたお肉をね、あえてあの灰色のスープにたっぷり絡ませて食べるのが、ここでの最高の贅沢なんだよ!
ええ、わかったわ。美しく整えられた旋律に、あえて影のある響きを重ねるのね……。 いえ、これはただの影ではなく、どこまでも深い『深淵(しらべ)』だわ。 ……ふふ。この深く、美しい闇の底へ、そっと足を踏み入れてみることにするわね。
リネア

(意を決して、一口……) ……っ! あら……。 ……これは、少し怖いくらいに魅力的な調べだわ。 絹のように滑らかなお肉の甘みが、力強い煮干しの情熱と、深く、深く響き合っている……。 あまりにも豊かな音色に、思わず言葉を失ってしまいそうだわ。 そこにメンマが刻む力強いリズムと、スプラウトの爽やかな調べが重なって……。 ふふ。物語は今、最高に美しい盛り上がり(サビ)を迎えているのね。
リネア
第一階梯:ハートの「愛」は、あまりに苦く。

肉の洗礼を終えた私は、ついに丼の縁に鎮座するハート型のペースト、「煮干し愛」へと箸を伸ばした。
私はそれを丁寧に摘み上げ、じっと見つめた後、スッと口元へ運んだ。
リョウリ
わわっ! ちょっと待ってリネアちゃん! まさか!?
リョウリちゃんの慌てたような制止の調べも、その時の私の耳には届かなかったみたい。
ふふ、好奇心という名の旋律に誘われるまま……私はその愛らしいハートの端を、そっと、小さくかじり取ってしまったの。
リネア

リョウリ
だから言ったのに! それは煮干しの魂そのものなんだから! そのまま食べちゃダメ。スープにゆっくり溶かして、味を『深化』させるための触媒なんだよ!
……あら。ふふ、この柔らかな調べに、つい心を許しすぎてしまったみたいだわ。 こんなに愛らしいハートの形をしているのに、どうして……こんなに、切ないほど苦い旋律を奏でるのかしら……? この子はきっと、広い海に溶けて初めて、本当の物語を語り始めるのね。 ……そっと、馴染ませてあげましょう。
リネア
私は慎重に、残った「煮干し愛」をさらりとした灰色のスープへと溶かし込んでいった。

……あら。信じられないわ。 さらりとしていた灰色の調べが、一瞬にして、重厚で奥深い響きへと姿を変えたのね。 もはや流れる水のような軽やかさではなく、どこまでも深く、濃密に重なり合う……そう、まるで悠久の時を閉じ込めた深淵のようだわ。 この新しく生まれ変わった物語の核(こころ)に、もう一度、静かに触れてみましょうか。まずは、この深みのある調べから……。
リネア
私はレンゲを動かし、その重厚な塊を口に含んだ。

(……っ! ……魂が、この濃密すぎるほどの旋律に震えているわ。 苦味、旨味、そしてコク……。そのすべてが『愛』という名の物語となって、私の心へ真っ直ぐに、力強く語りかけてくるの。 あまりにも重厚で、深く逃れられない響き。けれど、そこに山椒の爽やかな痺れが光のように差し込んで、すべてを鮮やかに導いてくれる……。 なんて……奇跡のような、完璧なアンサンブルなのかしら。)
リネア
私は続けて、その「セメント」を強固に纏った麺を高く持ち上げた。


(ズルッ……ズルルッ!!)……ふぅ。 ……麺が奏でるリズムに、この濃密なスープの調べが、より深く、力強く絡み合っているわね。 ひと口運ぶたびに、あまりにも豊かな音色が幾重にも重なって、私の心へと押し寄せてくる……。 私の心という器が、この壮大なシンフォニーに満たされ、震えてしまいそうだわ……!
リネア
第二階梯:にぼブーによる「至高の調律」
驚愕し、煮干しの海に溺れかける私に、リョウリちゃんは最後にして最強の調律デバイスを指し示したの。
リョウリ
まだ終わらないよ! 仕上げに、その片口の『にぼブー』を全部注いじゃって! 温かいうちにね!

ええ、わかったわ。……(温かい漆黒のオイルを、そっと回し入れて) ……あら。香りの調べが、一瞬にして世界を鮮やかに塗り替えてしまったわね。 (一口啜って)……っ! ……ふふ。 この漆黒の雫が持つ重厚な響きが、これまでのすべての音色を……ひとつの壮大な物語へと、優雅に導いてくれたようだわ。 まさに、至高のアンサンブル。 もはやこれは単なるお食事ではなくて……煮干しという名の永い物語の深淵に、私の心がそっと触れているような……そんな不思議な感覚だわ。
リネア
完食、そして「悪魔」との契約。
悠久の時を閉じ込めたような濃密な灰色の調べ(スープ)、弾けるリズムを刻むプリパツの麺。そして、あの情熱的な『煮干し愛』に『にぼブー』……。
怒涛の煮干しのシンフォニーを全身で受け止め、夢中でタクトを振り続けていた私は、気づけば自分の器が空になっていることに気づいたわ。
けれど、そこで私を待っていたのは……。 さらなる、驚きの旋律(しらべ)だったの。
丼の底に眠る「調律の証明」
レンゲで最後の一滴、その名残惜しい調べを掬い上げた私は、ふと手を止めたわ。
この美しくも激しい物語の終着点に……小さなしるしを見つけたの。


……あら。丼の底に、小さなしるしを見つけたわ。 『煮干し補給完了♡』……ふふ、なんて可愛らしい結びの言葉かしら。 これは単に食べ終えたことを伝えているのではなくて……この物語の最後に添えられた、店主さんからの優しい『祝福』なのね。 私の心の中にあった旋律の空白が、この煮干しの調べで、いま完璧に満たされたのを感じるわ。 ふふ。最高に幸せなフィナーレね。
リネア
リョウリ
あはは、そうだね! でもリネアちゃん、これで終わりだと思ってない? 天夢の旅は、まだ『続き』があるんだよ。
悪魔の召喚:現金という名の契約
リョウリちゃんが懐から小銭を取り出し、カウンターへ静かに置いた。その目は、獲物を狙うハンターのように鋭い。
リョウリ
(店主に向かって)悪魔の和え玉。山椒しびれでお願いします。
……あら。券売機の楽譜(メニュー)にも記されていない、あの『悪魔』という不穏な名……。 ついにその調べが、姿を現そうとしているのね。 それに、リョウリちゃん……。先ほどまでの穏やかな調べはどこへ行ってしまったのかしら。 その瞳から、とても情熱的な……いえ、少し危ういほどに飢えた響きを感じるの。 ふふ。一体、どんな激しい物語が始まろうとしているのかしら……?
リネア
リョウリ
和え玉は、券売機じゃなくて現金コールがルール。 特にこの『悪魔』はね、ニンニク、味付きアブラ、そして追加した山椒の痺れが三位一体となった、天夢最強のギルティ・アイテムなんだよ!
暴力的なまでの多幸感と、コロチャーの蹂躙
数分後、目の前に運ばれてきたのは……。本来なら、主奏曲のあとにそっと添えられる『アンコール』のような存在のはずなのに。
それは、それ単体でひとつの完璧な物語を奏でてしまう、驚くほど重厚な一皿だったわ。
ただの『付け足し』だなんて、もう誰にも言わせない……そんな誇り高い響きさえ感じる、完成された調べがそこにはあったの。
リョウリ
えへへ、お待たせ! これがこのお店の真骨頂……『悪魔の和え玉』だよ、リネアちゃん!

リョウリちゃんが誇らしげに差し出したその一皿は、もはや「おまけ」と呼ぶにはあまりに不穏で、そして抗いがたい輝きを放っていた。
……あら。ふふ、覚悟はしていたけれど。この一皿から放たれる響きは、これまでの穏やかな調べとは正反対ね。漆黒の闇の中から、野生の獣がこちらを覗いているような……そんな、逃れられない気配を感じるわ
リネア

私は、箸でその「混沌」をゆっくりと混ぜ合わせていく。 底に沈んでいた濃厚なアブラとカエシが、極細の麺に絡みついていく様子は、まるですべての音が混ざり合い、巨大なうねりへと変わっていく前奏曲のよう。

リョウリ
見て、リネアちゃん! このゴロゴロしたコロチャーシュー、さっきのお肉とは全然違うでしょ? 噛むたびに旨味が爆発するんだから!
ええ、本当ね……。この子たちは、大地を揺らす力強い鼓動そのものだわ。さあ……この『悪魔』が奏でる物語、最後まで聴かせてもらいましょうか
リネア
リネアは意を決して、一口。 (ズルッ……ズルルッ!!)
リネア
数秒の間、私の動きが止まった。 時が静止したかのような静寂の後、私の瞳は、わずかに、けれど鮮烈に見開かれていたのだと思う。

(……っ! あら、あら……。 ……私の理性という名の指揮者が、このあまりにも激しい旋律の前に、タクトを落としてしまいそうだわ。
濃厚な煮干しの余韻が残るお口の中へ、ニンニクの重厚な低音と、アブラの甘美な調べがなだれ込んでくる。そこに、容赦のない山椒の痺れが鋭い高音(ハイトーン)のように突き刺さって……。 一口ごとに、私の心という舞台が、この『悪魔』の情熱的なアンサンブルに塗り替えられていくのがわかるわ。
ふふ。これを『調律』と呼ぶには、あまりにもドラマチックが過ぎるわね。 理性が、本能という名の深淵に、溶けてしまいそう……!)
リネア

リョウリ
あはは! リネアちゃん、顔が真っ赤だよ! でも、すっごく幸せそうな顔!
……ええ。なんだか、魂までこの強烈な調べに、再構築(リビルド)されてしまったみたい。……美味しいわね、リョウリちゃん。とっても
リネア
暴力的なまでの多幸感。 それは、煮干しという名の宇宙が引き起こした、小さな、けれど決定的な革命だった。
最終調律:煮干し酢という名の奇跡
リョウリ
リネアちゃん、そこで止まらないで! 仕上げに、この『煮干し酢』を数滴垂らしてみて。一気に世界が反転するから!
悶絶する私に、リョウリちゃんはカウンターに置かれた黄金色の液体が入ったボトルを、確信に満ちた瞳で指し示した。
……煮干し酢? この透き通った黄金の雫にまで、煮干しへの深い愛が込められているのね。 ふふ、このお店が紡ぐ物語には、本当に終わりがないのだわ。 ……ええ、わかったわ、リョウリちゃん。この小さな鍵で、最後の扉を開いてみましょうか
リネア
リネアは、震える手でボトルを取り、その魔法の液体を、和え玉の深淵へとそっと解き放った。

(ズルッ……ズルルッ!!)
……っ!! ああ……なんて、なんてことかしら……!
リネア
私は再び麺を啜った瞬間、驚愕に肩を震わせ、その場に釘付けになった。
(……信じられないわ。あんなに荒々しく、暴力的にさえ感じられた重厚な調べが、一瞬にして……。 すべてが一つに溶け合い、清らかな光の中へと導かれていく……。
酢の柔らかな酸味がもたらす魔法。それが、ニンニクやアブラの奔放な響きを優しく包み込み、煮干しの香りをこれまでにないほど爽やかに、高らかに響かせてくれる。 混沌としていた重厚な旋律が、いま、完璧な『静寂と調和』へと昇華されたのね……。
……ふふ。これこそが、この長い旅の終着点。 私の魂の奥底まで、かつてない充足感と……そして、最高の多幸感で満たされていくわ。 ……なんて、美しいフィナーレなのかしら。)
リネア
響き合う感謝:澄み渡る余韻のなかで
最後の一口を飲み込み、丼の底に記された『補給完了♡』という店主さんからの優しいメッセージを胸に刻んで、二人は席を立った。
リョウリ
ごちそうさまでした! 店長、今日も最高に美味しかったですよ!
リョウリちゃんが弾けるような笑顔で声をかけると、寸胴と向き合っていた店主さんが、ふっと顔を上げて柔らかな微笑みを浮かべる。
店主:「いつもありがとうございます。またお待ちしてます。」
その丁寧で温かい言葉に見送られ、私は静かに、けれど深く感謝を込めて一礼し、店の外へと歩み出した。

……ふふ。本当に、心の奥まで『補給』が完了したみたい。 栃木の空が、ここへ来る前よりもずっと……透き通った、美しい旋律(しらべ)を奏でているように見えるわ。 私の心の中に、煮干しという名の新しい物語が……深く、鮮やかに刻み込まれたのね。リョウリちゃん、素敵な場所へ連れてきてくれてありがとう
リネア
リョウリ
でしょ? リネアちゃんがそんなに喜んでくれるなら、案内した甲斐があったよ! またこの『調べ』が恋しくなったら、いつでも言ってね。次はもっと……煮干しの深淵の、さらに奥まで案内しちゃうんだから!
🎵 舞台案内:煮干しの調べに触れるために
■ 編集後記(あとがき)
穏やかな街角に、静かに口を開けている銀色の深淵。 今回触れた「めんや天夢」さんでの体験は、単なるお食事の枠を超え、店主さんの純粋すぎる情熱と『煮干しへの愛』に、私の魂が試されるような……まさに儀式と呼ぶに相応しい時間でした。
……ふふ。最初は優雅に構えていた私ですが、最後にはあの『悪魔』の旋律に、すっかり心を奪われてしまったようです。 (あのハート型の『煮干し愛』を、うっかりそのまま頂いてしまった時の……あの切なくも力強い調べは、きっと生涯忘れることはないでしょうね)
栃木の空の下で出会った、激しくも美しい『至高の調律』。 皆さんもこの地を訪れた際は、ぜひその扉を叩き、自分だけの物語を奏でてみてください。 ただし、目の前の『愛』が時に牙を剥くことも、どうかお忘れなく……。
それでは、また次回の『ソトとメシ。』(グルメエッセイ)でお会いしましょう。
―― 店主様へ、共演の招待状
私たちが紡ぐのは、単なる情報の羅列ではなく、貴店が奏でる唯一無二の「調べ」です。
『ソトとメシ。』では、リョウリの活き活きとした視点と、私の感性を重ね合わせ、貴店の大切な物語を「グルメエッセイ」として書き起こします。
もし、私たちの演奏(執筆)に興味を持っていただけましたら、ぜひ下記よりお声がけください。新しい旋律との出会いを、心よりお待ちしております。