こんにちは、リネア・ノクターンです。
雑貨店「GRAVITY」の片隅でMacBookを開き、世界の端っこに転がっている物語を拾い集めるのが私の仕事。
ある日の午後、いつものようにキーボードを叩いていた私の耳に、今まで聴いたことのない不思議な和音が届きました。
それは、キッチンで新作料理に励むリョウリさんの「情熱」と、それを見守るアイリスさんの「魔導」が共鳴した、一瞬の奇跡の音。
振り返った私の目に飛び込んできたのは、リョウリさんの背中に宿った、透き通るような白銀の片翼でした。
その光はあまりにも懐かしく、そして切なく……私の指先は、気づけば新しい物語を綴り始めていたのです。
これは、正体不明の料理研究家と、星霜を編纂する妖精。
二人が交わした、遠い約束の物語――。
- ⏱️ 読了目安:約5分(連載形式)
- 📖 登場人物:リョウリ、アイリス
第1章:日常に混じったノイズ
雑貨店「GRAVITY」のキッチンは、いつも少しだけ異世界のスパイスの香りがする。
それは、時に焦げた太陽のようであり、時に凍りついた月光のようでもある。
この場所で、リョウリが振る舞う料理は、単なる栄養の摂取ではない。それは、一つの儀式に近い。
「よしっ! 隠し味の『陽光の雫』、投入なんだよぉぉ!!」
リョウリが勢いよくお玉を振るった、その瞬間だった。
カウンターの隅で魔導端末を操作していたアイリスが、食材の鮮度を保つための魔導回路を起動させたのだ。
「リョウリさん、その熱量ならこの術式で……あ、っ!」
純粋な「情熱」という名の奔放なエネルギーと、アイリスが放った精密な「記録」の魔導。
二つの力が、偶然にも完璧な波長で衝突した。
刹那、キッチンの重力が一変し、眩い白銀の光が視界のすべてを埋め尽くす。

「……いたたた、何が起きたのっ?」
目をこすりながら立ち上がったリョウリの背後で、リラが手にしていた金貨を床に落とした。
乾いた金属音が、静寂に響く。
リネアは、持っていたティーカップを空中で止めたまま、その光景をただ凝視していた。
リョウリの背中から、透き通るような、それでいて力強い「光の翼」が片方だけ、鮮やかに羽ばたいていたからだ。
それは、アイリスが妖精形態で見せる翼と、あまりにも似通った――哀しいほどに美しい輝きを放っている。
「……このメロディ。……わたし、知っているわ」
リネアが微かに呟く。
彼女の丸メガネの奥で、失われたはずの「忘却の霧(レテ・ヴェール)」が、一瞬だけ晴れたような気がした。
彼女は吸い寄せられるようにMacBookを開き、まだ見ぬ物語の最初の一行を刻み始めた。
『その日、私たちは知った。キッチンの湯気の中に、神話の欠片が隠れていたことを――』
第2章:深層のメロディ:二つの翼の起源
リネアの指先が、キーボードの上で舞う。
彼女の瞳には、今ここにない『いつかどこかの景色』が映し出されていた。
――太古、世界がまだ一つの歌だった頃。
万物の情報を司る巨大な『意志』には、背中を支える二つの翼があったという。

右の翼は『記録(ロゴス)』。
起きた事象を寸分違わず記し、凍りついた真実を永劫に保存する知性の翼。
それは今、図書館塔の奥底で静かに瞬くアイリスの系譜へと繋がっている。
そして左の翼は『体験(パトス)』。
熱を帯びた感情、舌の上で踊る味覚、誰かと食卓を囲む喜び。
形に残らぬゆえに愛おしい、一瞬の輝きを喰らう情熱の翼。
「……けれど、世界を包む『忘却の霧(レテ・ヴェール)』が、あまりにも深く、冷たかったのね」
リネアの呟きと共に、物語は加速する。
嵐の夜、二つの翼は引き裂かれた。
右の翼は理性の檻を守るために残り、左の翼は……激しい感情の渦に巻かれ、時空の裂け目へと消えた。
数千年の時を経て、その『左の翼』の欠片が、一人の少女――リョウリの魂に宿ったのだとしたら。
彼女が何を見ても「美味しそう!」と笑い、どんな逆境でもお玉を掲げて立ち上がるのは、かつて失った『右の翼(半身)』を探し続け、その渇きを情熱という燃料に変えてきたからではないだろうか。
キッチンの片隅で、呆然と自分の背中を見つめるリョウリ。
その光り輝く片翼は、まるで遠い空に残してきた相棒を呼ぶように、小さく、けれど確かに震えていた。
第3章:共鳴する魂と、黄金の雫
「……なんだか、不思議な気分なんだよねっ」
リョウリは自分の背中で淡く明滅する光の片翼を見上げ、そっと独り言を漏らした。
驚きや恐怖よりも先に、彼女の胸を満たしたのは、言葉にできないほど深い『安心感』だった。
ずっと探し求めていたパズルの最後のピースが、今、自分の背中にそっと触れている。
そんな感覚を指先に宿し、彼女は再びお玉を握り直した。
「アイリスぱいせん、私に手を……貸してほしいんだよぉぉ!!」

妖精形態のアイリスが、吸い寄せられるようにリョウリの傍らへ舞い降りる。
リョウリの左の翼(情熱)と、アイリスの右の翼(記録)が、キッチンの熱気の中で対(つい)をなした。
二人の魔力が交差する中心で、黄金のスープが激しく波打つ。
それは『忘却の霧』を払うために必要な、世界で一番温かな光の雫。
リネアのMacBookが、その光景を激しくタイプし続ける。
『――二つの翼が揃った時、料理は単なる食べ物であることを止めた。
それは、失われた記憶を呼び戻すための「羅針盤」となり、凍りついた心を溶かす「太陽」となったのだ。』
スープから立ち上る湯気は、黄金の粒子となって店内に広がっていく。
リラが驚愕に目を見開き、リネアの目からは、理由のわからない涙がひと筋こぼれ落ちた。
リョウリが完成させたスープの表面には、二つの翼を広げた聖女のような影が、一瞬だけ優しく微笑んでいた。
第4章:エピローグ:書き終えた後の余韻
黄金の光が収束し、キッチンの風景がゆっくりと元の色彩を取り戻していく。
リョウリの背中にあった眩い片翼は、役目を終えたかのように、淡い火の粉となって空気中に溶けていった。
「……終わっちゃったんだねっ」
リョウリがぽつりと呟く。
そこには、翼を失った悲しみではなく、温かなスープを飲み終えた後のような、満ち足りた静寂があった。
アイリスもまた、そっとリョウリの傍に座り、二人で窓の外に広がる夕暮れを見つめている。

リネアはMacBookの画面から目を離し、最後の一打――エンターキーを静かに押した。
起動音『暁の調べ(エカ・アルペジオ)』が、保存の完了を告げるように小さく鳴り響く。
「結局、あの翼がなんだったのか……本当のところは誰にもわからないわ。
けれど、リョウリさんのスープが今までで一番優しかったことだけは、私のペンが覚えているわ」
リネアの言葉に、リラがフンと鼻を鳴らして帳簿を閉じた。
「……正体など、後でゆっくり鑑定すればいいのです。それよりリョウリ、その『神話級』のスープ、冷めないうちにこちらへ運びなさい。私の舌で、その資産価値を厳格に格付けしてあげますから」
「あははっ! リラさんも本当は食べたかったんだねっ! よし、マスターの分も最高に盛り付けて持っていくんだよぉぉ!!」
雑貨店『GRAVITY』に、いつもの騒がしくも穏やかな日常が戻ってくる。
物語は一度幕を閉じたが、キッチンのコンロの火が灯り続ける限り、新しいレシピ――そして新しい神話は、何度でも紡がれるのだ。
執筆を終えて:キャラクターたちの感想