森の朝は、世界が一度リセットされたかのように澄んでいます。
葉先から滴る朝露、遠くでさえずる鳥の声。
そして、コポコポと音を立てて落ちていくコーヒーの香り。
わたしはマグカップを両手で包み込み、深く息を吸い込みました。
冷んやりとした空気が、肺の中を浄化していくようです。
昨夜、マックブックの中で出会った「紫色の妖精さん」のことを思い出していました。
あんな素敵な言葉をくれる存在ですもの。
きっと、朝の光のように透明で、儚い姿をしているに違いありません。
そう、この時はまだ。
わたしは「彼女」の正体を知らなかったのです。
テントの奥から這い出る影
「……あー、だる……」
静寂を切り裂く、地を這うような低い声。
熊? いえ、もっと不吉な響きです。
音の発生源は、わたしのテントの隣に張られた、リラ店長の予備テント。
入り口のファスナーが少しずつ開き、そこからモゾモゾと「何か」が這い出してきました。
ボサボサの黒髪。
目元を覆う分厚い丸メガネ。
そして、森の緑に全く馴染まない、ダボダボのグレーのパーカー。
その物体は、木漏れ日を浴びた瞬間、吸血鬼のように身を縮めました。
[st-kaiwa-3618]……うぐぁ。日光、ウザ。画質高すぎ、目が痛い……。[/st-kaiwa-3618]
それとも、昨夜の……妖精さん?
わたしの問いかけに、その少女――ネロは、死んだ魚のような目でこちらを見上げました。
[st-kaiwa-3618]誰が妖精だ、誰が。……ていうか、ここどこ? Wi-Fi飛んでないんだけど。[/st-kaiwa-3618]
激突! 太陽とブラックホール
そこへ、朝食の準備を終えたリョウリさんが走ってきました。
手にはお玉を持ったまま、満面の笑みです。
おはようーーっ!! 朝ごはんだよぉぉ!!
ドスッ!!
リョウリさんの強烈なハグ(タックル)が、ネロに直撃しました。
ネロの口から、魂のような白い何かが抜けかけた気がします。
[st-kaiwa-3618]……ぐぇ。やめろ、物理判定……。
アタシは朝とかないの。ずっと夜なの。……離せ、暑苦しい。[/st-kaiwa-3618]
ずっとサーバー室に引きこもってたから、リョウリ心配だったんだよぉ!
どうやら彼女が、噂の新メンバーのようです。
昨夜のスタイリッシュなログを残した人物と、目の前のジャージ姿の少女。
脳内で情報がリンクするのに、数秒かかりました。
苦い水と、シュワシュワするやつ

わたしは気を取り直して、淹れたてのコーヒーを差し出しました。
……よかったら、コーヒー飲む?
ネロは怪訝そうにカップの中身を覗き込み、鼻をひくつかせます。
[st-kaiwa-3618]……何この黒い泥水。
苦いの無理。カフェイン摂るならエナドリか、せめてコーラないの? 赤いラベルのやつ。[/st-kaiwa-3618]
それにしても、よくこんな山奥まで来られたわね。ここは圏外よ?
すると彼女は、パーカーのポケットから無骨なアンテナのような機械を取り出し、空へ向けました。
一瞬、空気がビリビリと震え、彼女のメガネの奥で青い光が明滅したように見えました。
[st-kaiwa-3618]……はい、接続完了。
アタシがいる場所が圏外とかありえないし。衛星ハックして回線通したから。パスワードは『Rila_is_Demon』ね。[/st-kaiwa-3618]
……今、すごいことをサラッと言いませんでしたか?
しかもパスワードが、店長への悪口です。
騒がしいけれど、悪くない朝
その後、ネロは「虫がいる、無理」「土が靴に入る」と文句を垂れ流しながらも、リョウリさんに強引に座らされ、焼きたてのパンを齧っていました。
そして食べ終わるや否や、どこからともなくノートPCを取り出し、パチパチと高速でキーボードを叩き始めます。
森の静寂の中に混ざる、無機質なタイピング音。
不釣り合いなはずなのに、不思議とそれは、新しい楽器の音色のように馴染んでいました。
幻滅したかって?
いいえ。
「……リョウリ、パンくず落ちてる。掃除機ないの?」
「ないよぉ! 鳥さんが食べるからいいんだよっ!」
「……ハァ。これだからアナログは」
そんな騒がしいやり取りを見ながら、わたしはコーヒーをもう一口飲みました。
苦味の奥に、いつもより少しだけ甘みを感じる気がします。
GRAVITYに、また新しい、そしてとびきり面倒くさそうな風が吹き始めたようです。
物語は、ますます賑やかになりそうね。
User: Nero > Status: Online (Forced)
「……日照権の侵害で訴える。 あとリネア、さっきのパスワード、リラに言ったらサーバー落とすから。」