注意ポイント
第7話『偽りの輪郭、あるいは命のレタッチ』
Section 1:無機質な宣告
02:00 PM - General Hospital Examination Room
窓の外は、驚くほど透き通った秋晴れだった。
高く、遠い空。風に舞う落ち葉が黄金色に光っている。
けれど、この部屋の空気だけは、絶対零度まで凍りついているようだった。
「……数値が想定よりも早く悪化しています」
医師が淡々と告げる。液晶モニターに映し出された、私の身体の断面図。
素人の私が見てもわかる、黒い影。
それが私の命を少しずつ、確実に食いつぶしている。

「これ以上の無理は、命を削るだけです。未希さん。即座に入院し、治療に専念すべきです」
医師の声は正しい。あまりに正しくて、だからこそ無機質で、他人事のように聞こえた。
私は、膝の上でぎゅっと握りしめていた拳を、そっと解いた。
「……コスプレ、続けてもいいですか?」
その問いに、医師は絶句した。眼鏡の奥の瞳に、困惑と憐れみが混じる。
「何を言っているんですか。今はそんな場合では……」
「今、じゃないとダメなんです。今、私は……『神様』になれたんです」
公式コスプレイヤー、数万人のフォロワー、止まらない通知。
私が今まで一度も手に入れられなかった「自分の居場所」が、そこにはある。
病院のベッドで静かに消えていくなんて、私にはできない。
病院の帰り道。
私は、あの時の――物語が始まった場所、いつもの公園にいた。
あの時、ピンクの衣装を着て、おどおどしながらレンズを見つめていた場所。
ベンチに座り、秋の冷たい風に吹かれながら、私は自分の掌を見つめる。
少しずつ、肉が落ちて骨が浮き出てきた指。
けれど、一度火がついた「神様」の物語は、もう止まらない。
たとえこの身体がボロボロになっても、画面の向こうにいる人たちが「綺麗だ」と言ってくれる限り。
私はスマホを取り出し、自撮りモードで自分を映した。
画面の中には、くすんだ肌と、疲れ切った瞳の、惨めな女の子がいた。
「……大丈夫。いくらでも、直せるもん」
私は、震える指で加工アプリを立ち上げた。
Section 2:加工された「元気な私」
11:00 PM - Miki's Room
部屋の明かりを消し、スマホのブルーライトだけが私の顔を青白く照らしている。
鏡の中の自分は見たくない。そこには、病という彫刻刀で削り取られた、痩せこけた見知らぬ女が立っているからだ。
私は、先日撮影した「公式コスプレイヤー」としての未公開データを画面に呼び出した。
プロのカメラマンが、最高級の機材で撮ってくれた、最高の一枚。
けれど、拡大すれば隠しきれない真実が顔を出す。
ファンデーションの下に潜む、くすんだ肌の質感。薄くなった髪。そして、どこか力のない視線。
「……ここを、こうして」
指先を滑らせる。
彩度を上げ、頬のラインを数ミリ削り、瞳に不自然なほどの輝きを書き加える。
AIが私の「欠落」を補完し、完璧な肌と血色を上書きしていく。
レタッチが進むたびに、画面の中の私は「神様」へと近づき、同時に人間としての生々しさを失っていく。
『今日も撮影頑張ったよ! 最高の出来になりそう。みんな楽しみにしててね!✨』

嘘の言葉と一緒に、加工を終えた写真を投稿する。
数秒後。画面が激しく震え始めた。
「可愛い!」「さすが公式!」「全然疲れてなさそうで安心した!」
怒涛のように押し寄せる、肯定の嵐。
私の指は、もうすぐ止まるかもしれない命の刻(とき)を刻んでいるのに、ネットの海では「永遠の元気な私」が更新され続けている。
この「いいね」の数だけ、私は生きている。そう自分に言い聞かせないと、暗闇に飲み込まれそうだった。
その時、一通のメッセージが届いた。
あの日から、私のすべての瞬間を撮り続けてくれている、あのカメラマンからだった。
『……いい写真だね。でも、未希ちゃん。今日の笑顔、なんだか少しだけ、遠くにいるみたいに見える。ちゃんと休めてる?』
スマホを持つ手が、微かに震えた。
数万人のファンが絶賛する中で、たった一人。 レンズ越しに私の魂を見つめてきた彼だけが、フィルターの奥に潜む「歪み」に気づき始めている。
「……休んでるよ。休んでるから、大丈夫」
私は彼への返信を打たずに、画面を閉じた。
本当の私なんて、誰も見なくていい。 この美しい「嘘」だけを信じて、愛してほしい。
たとえその代償に、最後の光を使い果たすことになっても。
(つづく)