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【神様を演じた365日】第9話『解けた魔法、最後の共犯者』

注意ポイント

※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等は一切関係ありません。 また、本作はコンセプト上、闘病や死に関するセンシティブな描写を含みます。ご自身の体調に合わせて、閲覧をご判断ください。
連載小説『神様を演じた365日』

第9話『解けた魔法、最後の共犯者』

Section 1:奪われた魔法

04:00 PM - Hospital Room, Autumn Rain

 窓の外では、終わりの見えない冷たい秋の雨が、世界を灰色に塗り潰していた。
 
 数日前まで浴びていた、あの眩しいほどのフラッシュ。耳に焼き付いたシャッター音と、熱狂的な歓声。
 それらはすべて、遠い昔に見た質の悪い白昼夢だったのではないか。

 今の私を包んでいるのは、何重にも重なったシルクのドレスではなく、糊の効きすぎた、無機質でサイズの合わない入院着だ。

 部屋の隅に置かれた鏡を、私はもう三日も見ていない。
 スマホの電源も切ったままだ。
 「元気?」「次の投稿待ってるよ!」という通知が来るたびに、画面の中にいる「完璧な未希」に、今の私が殺されていくような気がしたから。

「……あ」


 
 枕元に落ちた、数本の髪の毛を指で掬い上げる。
 指先で弄ぶだけで、力なく、容易く抜けていく。
 髪も、肌の艶も、立っているための気力も。
 「神様」を演じるための魔法の道具は、砂時計の砂のように、指の間からこぼれ落ちていく。

「……これじゃあ、もう、誰も私だって気づかないね」

 自嘲気味に呟いた声は、乾燥した病室の空気に吸い込まれて消えた。
 コンコン、と控えめなノックの音がして、あなた(カメラマン)が部屋に入ってきた。

 あなたは、何も言わずにパイプ椅子を引き寄せ、私のベッドの傍に座った。
 その顔を見た瞬間、ずっと張り詰めていた何かが、音を立てて崩れた。

「……見ないで」

 私は布団を頭から被り、掠れた声で拒絶した。

「見ないでよ。今の私は、公式コスプレイヤーでも、10万人のアイドルでもない。ただの、みすぼらしい病人なの。……あんなに綺麗に撮ってくれたのに、全部、台無しにしちゃった」

 布団越しに、嗚咽が漏れる。
 あなたが私の震える肩に、そっと手を置いたのがわかった。

「台無しになんか、なってない」

 あなたの静かな声が、雨音を切り裂いて届く。

「俺が撮ったのは、衣装じゃない。未希ちゃん、君自身だ。どんな姿になっても、俺のレンズが見ているものは変わらないよ」

 嘘だ、と言いたかった。
 でも、その言葉の温かさに、私はたまらず布団から顔を出した。
 涙でぐちゃぐちゃになった、加工もレタッチもできない、本当の私の顔を。

「……ひどい顔でしょ?」

 弱々しく笑う私を見て、あなたは悲しそうに、けれど愛おしそうに目を細めた。
 その時、私は悟ってしまった。

 私はもう、10万人のための神様には戻れないけれど。
 たった一人の、あなたの前でだけは、「私」として生きていたいのだと。

Section 2:最後の約束

01:00 AM - Midnight Hospital Room

 消灯時間を過ぎた病室は、深い海の底のように静まり返っていた。
 窓から差し込む青白い月明かりが、ベッドの上に境界線を描いている。

「……ねえ」

 私は、隣で眠りに落ちかけていたあなたの指先に、そっと触れた。
 驚いて顔を上げたあなたの瞳に、月光を反射した私の顔が映る。

「冬コミ……行きたい。もう一度だけ、あの場所に行きたいの」

 あなたの顔が、苦痛に歪んだ。  言わなくてもわかっている。今の私の容態で、真冬の屋外イベント、それも数万人が押し寄せる戦場のような場所に行くことが、何を意味するのか。  それは、最後の一滴まで命を絞り出す、自殺行為に等しいのだと。

「未希ちゃん、それは……医師だって許さない。身体が持たないよ」

「わかってる。わかってるよ。でもね、病院のベッドで、モニターの心拍数を見守られながら消えていくなんて、私には耐えられない」

 私は、震える手であなたの大きな手を、必死に握りしめた。
 骨が浮き出た私の掌に、あなたの体温が流れ込んでくる。

「最後は、レンズの前にいたい。10万人のフォロワーのためじゃない。公式の役目のためでもない。……あなたのカメラの前で、一番綺麗な私のままで、終わりたいの」

 「終わり」という言葉を口にした瞬間、心臓の奥が冷たく鳴った。
 あなたが沈黙する。その数分間が、永遠のように長く感じられた。
 やがて、あなたは私の手を包み込むように握り返し、絞り出すような声で言った。

「……わかった。連れて行くよ」

 その瞳には、決意と、それ以上の深い哀しみが宿っていた。

「世界で一番、綺麗に撮るよ。君が、君でいられる最後の瞬間まで」

 私たちは、暗闇の中で静かに笑い合った。
 それは救いなんてどこにもない、地獄へと続く約束。
 けれど、その時。私たちは間違いなく、世界でたった二人の『共犯者』になった。

(つづく)

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