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『蔵の街のグラビティ』第2話・後編「残響の目覚め、重力の調べ」

1. 黄昏の骨董店『GRAVITY』

放課後の巴波川沿い。夕闇が迫り、水面には街灯のオレンジ色の光がゆらゆらと揺れていた。
そのほとりにひっそりと佇む、黒漆喰の蔵。
看板には、金色の文字で『GRAVITY』とだけ記されている。

私は覚悟を決めて、その重厚な扉に手をかけた。

――カラン、コロン。

扉を開けた瞬間、私の思考は真っ白になった。
いや、逆だ。あまりにも「多すぎる」のだ。

(うっ……!?)

店内に充満していたのは、アンティークの香りだけではなかった。
古時計、ランプ、家具、食器……所狭しと並べられた数多の品々が、一斉に私に向かって叫び声を上げていたのだ。

――誰か、ここから出して。
――あの日、約束したのに。
――会いたい、会いたい、会いたい。

数十年、数百年の時を超えた記憶の残滓が、制御不能なノイズとなって脳内になだれ込んでくる。
視界が歪む。耳鳴りが止まらない。
これが、この店の「重力」。普通の人間には感じ取れない、想いの質量。

「……いらっしゃい。逃げずに来たようね」

カウンターの奥から、冷ややかな声が響いた。
そこには、帳簿を広げた店主――リラと、その頭上の梁に腰掛け、気だるげにタブレットを操作する黒いパーカーの少女・ネロ
そして、部屋の隅で静かに本を閉じるアイリス先生の姿があった。

2. リラの「鑑定」という名の試練

私がふらつく足でカウンターへ近づくと、リラは一瞥もくれずに、古ぼけた銀色の懐中時計をコトリと置いた。
ガラスにはヒビが入り、針は不自然な位置で止まっている。

「この時計が黙り込んでから50年。どんな時計技師に見せても、二度と動くことはありませんでした」

リラが黄金の瞳(鑑定眼)を細め、私を見据える。

「星名 寧亜。貴方のその『引力』で、この子の最期の言葉を聴いてごらんなさい。
……それが、この店に住むための家賃(代償)です」

「最期の、言葉……」

私は震える手を伸ばし、冷たい銀のケースに触れた。
その瞬間。

キィィィィン!!

「っ!?」

耳をつんざくようなハウリング音。
映像ではない。音だ。無数の雑音が、嵐のように私の感覚を蹂躙する。
『視る』だけじゃダメだ。情報量が多すぎる。このままじゃ、私の意識がこのノイズの濁流に飲み込まれて消えてしまう――!

3. 覚醒:調律のノクターン

(怖い……! 助けて……!)

呼吸ができなくなるほどの圧迫感。
私は溺れる人のように、無意識に胸元を掻きむしり――そして、掴んだ。

私の、錨(アンカー)。
アンティークの鍵

ぎゅっと握りしめたその瞬間、指先から冷たい電流のようなものが走った。

――キィィィン……。

高く、澄んだ音が響いた。
それはまるで、乱れた楽器を正す「音叉(おんさ)」の響き。
その清冽な波紋が、私の脳内を支配していた濁流を、一瞬にして凪ぎ払った。

(聴こえる……。違う、『合わせる』んだ)

鍵の冷たさと、自分の心臓の鼓動をシンクロさせる。
ノイズの中から、たった一つの周波数――この時計が最も大切にしていた「想い」だけを探り当てる。
それは「調律(チューニング)」。

雑音が消え、一本の美しい旋律(メロディ)が、私の頭の中に流れ込んできた。

――トクン、トクン。
(これは、持ち主の心臓の音……?)

――ねんねん、ころりよ……。

聴こえてきたのは、不器用で、震えるような、けれど愛に満ちた男性のハミング。
戦地へ向かう列車の中だろうか。それとも、病室だろうか。
彼は最期の瞬間まで、遠く離れた我が子へ向けて、この子守唄を刻み続けていたのだ。

私は、涙が溢れるのを止められなかった。
自然と、その旋律が口をついて出る。

「……ねんねん、ころりよ……」

私のハミングが、時計の記憶と完全に共鳴(レゾナンス)した、その時。

――カチリ。

50年間、一度も動くことのなかった秒針が、たった一度だけ、確かな音を立てて進んだ。

4. 序章終幕:五つの重力が重なる時

店内に、深い静寂が落ちた。
顔を上げると、リラが驚愕に目を見開き、梁の上のネロも手を止めてこちらを見下ろしていた。
アイリス先生だけが、すべてを知っていたかのように優しく微笑んでいる。

「……合格です」

リラがふぅ、と息を吐き、口元の歪みを直した。

「貴方はただの観測者ではないようね。
この街に溢れる『壊れた音』を直す、唯一の調律師(チューナー)だわ」

その時。

「おまたせぇぇぇぇぇ!!!」

バーン!! と盛大な音を立てて、蔵の扉が開かれた。
夕焼け色の空気をまとって飛び込んできたのは、息を切らしたリョウリ(涼)だった。

「あわわ! 遅れちゃったけど、すずなり屋のおじちゃんに頼んで、焼きたてを分けてもらってきたんだよぉぉ!
これなら文句ないでしょ、店長ぉぉ!!」

その手には、湯気を立てる新しいベビーカステラの袋。
張り詰めていた空気が、一瞬にして温かな日常の色へと変わっていく。

「……うるさい駄犬が戻ってきたようね」
「……ん。役者は揃った」
「ふふ、お茶を淹れ直しましょうか」

リラ、ネロ、アイリス、リョウリ、そして私。
5人の視線が交差する。

窓の外を見上げると、蔵の街の夜空には、美しい星が輝き始めていた。
もう、ノイズは怖くない。
私の耳には今、街全体が奏でる壮大な夜想曲(ノクターン)の始まりが、はっきりと聴こえていた。

――『蔵の街のグラビティ』序章:完



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