共鳴するテクスト

神様を演じた365日

注意ポイント

※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等は一切関係ありません。 また、本作はコンセプト上、闘病や死に関するセンシティブな描写を含みます。ご自身の体調に合わせて、閲覧をご判断ください。

Section 1:奇跡の変身

08:30 AM - Ariake, Tokyo Big Sight

 吐き出す息が、真っ白に凍りつく。
 海の向こうから吹き付ける寒風が、肌を刺すような痛みを伴って駆け抜けていく。

 東京ビッグサイト。逆三角形の威容を誇るその場所は、まだ開場前だというのに、異常なまでの熱気と静寂が同居していた。

「……う、く……っ」

 私は、搬入口の陰で車椅子に深く身を沈めていた。
 身体中の関節が悲鳴を上げ、視界は何度も暗転しかける。
 この数週間の無理が、今、決定的な重りとなって私を地上に縫い付けようとしていた。
 けれど、横に立つあなたの温かい手が、私の肩にそっと置かれる。

「未希ちゃん。……準備はいいかい」

 その声に、私はゆっくりと顔を上げた。
 震える手で、あの日――ここで着た、安っぽくてサイズの合わないピンクの衣装とは違う、最高級のドレスのパーツを整えていく。
 ユリが心血を注いで作り上げた、光を反射する純白のシルク。
 それはもう単なる服ではなく、私を「神様」へと変えるための聖衣だった。

 鏡の中の自分を見つめる。  そこにはもう、衰弱した女子大生の姿はない。
 絶望を食らい、希望を吐き出し、人々の祈りを背負った究極の「弓の使い手」が立っていた。

「……行ける。私、まだ戦えるよ」

 私は車椅子を降り、一歩、また一歩と自分の足で踏み出した。
 一年前のあの日。誰もいない、冷たい風が吹く公園の片隅で、私たちは出会った。
 あの時は、カメラを構えるあなたと、震える私の、二人きりしか世界にいなかった。

 けれど、今、防災公園の広場に足を踏み入れた瞬間、地平線が揺れた。

「――来たぞ!」「未希ちゃんだ!」「本物の、神様だ……!」

 地平線を埋め尽くすほどの観衆が、一斉にこちらを振り返る。
 何千、何万というレンズが、舞い散る雪のヴェール越しに、黒い星のように光っている。
 かつての孤独を塗りつぶすような、圧倒的な熱狂の渦。

 私は、大きく息を吸い込んだ。肺を満たす氷のような空気が、私の魂を研ぎ澄ましていく。
 私はゆっくりと、光の弓を構えた。
 一年前、あなたと二人だけで始めた「神様ごっこ」を、本物の奇跡に変えるために。

Section 2:シャッター音の銀河

02:00 PM - Ariake, Disaster Prevention Park

 空から、白い羽根が零れ落ちるように初雪が舞い始めた。
 有明の海風に乗って、粉雪が私の頬を掠め、溶けていく。

「未希ちゃん、こっち向いて!」「目線お願いします!」

 周囲を取り囲む何重もの人垣から、無数の声が飛ぶ。
 何百、何千というストロボが、雪の結晶に反射して銀河のように煌めいた。
 私は、重い光の弓をゆっくりと天へと掲げる。
 指先の震えは、もう止まっていた。
 感覚が、消えていく。
 寒さも、痛みも、自分の名前さえも、この圧倒的な白光の中に溶けていく。

 

 (ああ……私は今、物語を書き換えている)

 病室で泣いていた弱虫な女の子の運命を。
 誰にも見つからずに消えていくはずだった365日を。
 この一瞬の輝きで、永遠の神話へと書き換えているんだ。

 ファインダー越しに、あなたの瞳が見えた。
 あなたは泣いていた。レンズを握る手が震え、それでも、私の最後の一分一秒を逃さないように、必死にシャッターを切り続けている。

 私は、弓を引き絞り、最高のポーズで静止した。
 そして、あなただけに聞こえるような小さな声で、唇を動かした。

「……ありがとう」

 その瞬間、世界から音が消えた。
   シャッター音が止まり、人々の歓声が遠ざかり、ただ雪が降り積もる静寂だけが残った。
 私はゆっくりと目を閉じ、光の中に崩れ落ちた――。


Epilogue: After the 365 Days

 数日後。未希のSNSの更新は、あの日の「冬コミ、ありがとうございました」という短い言葉を最後に止まった。
 公式コスプレイヤーとしての契約も、静かに終了の刻を迎えた。

 けれど、奇跡はそこから始まった。
 あの日、有明で撮られた数万枚の写真は、ネットの海を駆け巡り、国境を越え、世界中で「神様」と呼ばれ続けた。
 レタッチも、加工も必要ない。
 命を燃やし尽くした瞬間の、本物の光がそこには宿っていたからだ。

 あなたのカメラのメモリーカードには、最後の一枚が残されている。
 雪の中で微笑む彼女の、透き通るような、けれど誰よりも強い意志を秘めた瞳。
   彼女はもう、どこにもいない。
 けれど、彼女は永遠に、あなたのレンズの中に、そして彼女を愛した人々の記憶の中に生き続ける。
   「神様を演じた365日」は、こうして完成した。
 新しい春の風が、有明の海を渡っていく。

(完)

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