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『蔵の街のグラビティ』第2話・中編「秩序の銀、慈愛の金」

1. 正門の断罪

「――3分15秒の遅刻。および、校内への不純物の持ち込み。」

その声は、真冬の巴波川の水面のように冷たく、鋭利だった。
煌時計の歯車が刻む音よりも正確なリズムで、少女は言葉を紡ぐ。

私の目の前に立っていたのは、朝陽を背負った銀色の支配者。
星霜高校生徒会長、金森 理羅(かなもり りら)
左腕に巻かれた赤い腕章が、彼女の持つ絶対的な権限を無言のうちに主張している。
その黄金の瞳は、私ではなく、私の隣で凍りついているリョウリさんの手元――ひしゃげた紙袋を正確に射抜いていた。

「ひぃっ……! か、会長……これは、その……調理実習の材料で……!」

「『すずなり屋』のベビーカステラが教材? 貴方の料理部は、いつから買い食いを研究課題にしたのですか?」

リラ会長が一歩踏み出す。ただそれだけの動作で、周囲の空気がピリリと張り詰める。
重い。
これが、この学校の……この街の「秩序」が持つ重力。
彼女を中心にして、見えない圧力が波紋のように広がってくる。

「そして、貴女。」

不意に、その黄金の銃口が私に向けられた。
心臓が跳ねる。喉が渇く。
彼女の視線は、私の制服の着こなし、持っているトランク、そして私の存在そのものを「値踏み(アプレイズ)」しているようだった。

「転入生ですね。初日から遅刻とは、随分と余裕なことです。……この街で生きていく資格があるか、じっくりと『鑑定』する必要がありそうですわね」

怖い。
呼吸が浅くなる。異邦人であるという孤独感が、彼女の言葉によって増幅される。
私は無意識のうちに、ブラウスの胸元に手をやった。
生地越しに触れる、硬くて冷たい金属の感触。
それは、私が肌身離さず身につけている「アンティークの鍵」のネックレス。

(大丈夫。私は、ここにいる)

鍵の凹凸を指先で確かめる。
その小さな「錨(アンカー)」が、不安という波に流されそうな私を、現実という岸辺に繋ぎ止めてくれる。
私は息を深く吸い込み、震える膝に力を入れて、彼女の瞳を見つめ返した。

2. 慈愛の介入

「――リラさん。新入生をあまりいじめてはいけませんよ」

張り詰めた糸が、ふわりと解けるような感覚。
背後の記念館――文学館校舎の重厚な扉が開き、柔らかで温かな声が降り注いだ。

現れたのは、ハニーブロンドの長い髪を揺らす、大人の女性。
白いロングカーディガンを羽織ったその姿は、規律に縛られたこの場所で、そこだけ春の陽だまりが落ちているように見えた。

「入沢先生……」

リラ会長の眉がわずかに動く。
入沢 彩莉栖(いりさわ ありす)先生。この学校の司書教諭であり、私たちの……いいえ、この物語の守護者。

アイリス先生は、私のそばに歩み寄ると、胸元の鍵を握りしめている私の手に、そっとその手を重ねた。
温かい。
こわばっていた指の力が、自然と抜けていく。

「ようこそ、星霜高校へ。大丈夫、誰もあなたを拒んだりしませんよ。この子は今日から、私たちの家族になるのですから」

「家族……?」

その言葉の意味を問う前に、アイリス先生はリラ会長に向かって、悪戯っぽく微笑んでみせた。

「それにリラさん。彼女たちの遅刻は、私の頼み事のせいにしておきましょうか? 『古い文献の運搬を手伝ってもらっていた』……これなら、生徒会規則にも触れませんよね?」

「……チッ。貴女には敵いませんわね」

リラ会長は小さく舌打ちをすると(その仕草さえ優雅だったけれど)、フンと鼻を鳴らして道を空けた。
氷が溶け、日常の喧騒が戻ってくる。

3. 星霜高校の「深部」

「さあ、行きましょう、寧亜ちゃん!」

リョウリさんに背中を押され、私は校舎の中へと足を踏み入れた。
その瞬間、濃厚な「木の香り」が鼻腔をくすぐる。

外観は洋風の記念館だが、内部の構造は、やはりこの街特有の「蔵」の作りを色濃く残していた。
天井を走る太く黒い梁。飴色に磨き上げられた木の床。
私たちが歩くたび、ギィ、ギィ、と床板が低く鳴る。それは悲鳴ではなく、歴史の呼吸音のようだ。

廊下の窓からは、すぐ横を流れる巴波川の水面が見える。
揺れる水光が、天井に幾何学模様の反射を描いていた。

ふと、通り過ぎざまに柱に指先が触れた。

――次のテスト、頑張らなきゃ。
――卒業したら、この街を出るのかな。
――ずっと、一緒にいたい。

ザザッ。
ノイズのような、けれど切ないほどの熱を持った「記憶」たちが、指先から脳裏へと流れ込んでくる。
数十年、いや百年近い歳月の中で、ここの生徒たちが積み重ねてきた「学び」と「青春」の残響。
この校舎自体が、ひとつの巨大な記憶装置なのだ。

「うっ……」

情報の奔流に少しだけ目眩がして、私は再び胸元の鍵を握りしめた。

4. 放課後への招待

転入の手続きと自己紹介を終え、あっという間に放課後が訪れた。
クラスメイトたちの好奇の視線を背に、私は荷物をまとめていた。

「ねぇねぇ、寧亜ちゃん! 放課後、空いてるよね!?」

前の席のリョウリさんが、椅子を反転させて身を乗り出してくる。
その笑顔には、朝の騒動など微塵も感じさせないバイタリティが溢れていた。

「ええ、特に予定は……」

「やった! じゃあ部活の見学に……」

言いかけた彼女の言葉を遮るように、私のスマートフォンが短く震えた。
画面に表示されたのは、知らないアドレスからのメッセージ。
けれど、その文面を見た瞬間、送り主が誰かは明白だった。

『放課後、巴波川沿いの骨董店『GRAVITY』へ来なさい。
逃げても無駄です。貴女のトランクの「重さ」は、既に計測済みですから。
――K.R』

「……あ」

リョウリさんが画面を覗き込み、さっきまでの笑顔を一瞬で引きつらせた。

「リ、リラ店長……じゃなくて会長からの呼び出しだね……。うん、これは絶対に行かないとダメなやつだよ……」

骨董店、GRAVITY。
朝、私が目指していた場所であり、あの「秩序の銀」が支配する領域。
私は胸元の鍵を強く握りしめた。
この鍵がどこの扉を開くものなのか、私はまだ知らない。
けれど、今開くべき扉だけは、はっきりとわかっていた。

(第2話・後編へ続く)



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