注意ポイント
第3話『黒いレースと、1/200秒の閃光』
Section 1:密室の変身
都内某所、地下にあるレンタルスタジオ。
分厚い鉄の扉を閉めると、外界の音がぷつりと途絶えた。
漂うのは、乾燥した埃っぽい匂いと、強い化粧品の香り。
コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた更衣室は、ひんやりとしていて、まるでシェルターみたいだ。
「じゃん! どうよこれ、渾身の新作!」
友人のユリが、ハンガーにかかった衣装を得意げに掲げた。
そこに吊るされていたのは、光を吸い込むような漆黒のドレスだった。
幾重にも重なった黒いレース、コルセットのような編み上げ、そして袖口にあしらわれたベルベットのリボン。
あの時の、あのふわふわしたピンク色の魔法少女とは対極にある衣装。
それはどこか、魔女や、堕天使を連想させた。
「……すごい。これ、私が着るの?」
「当たり前でしょ。今の未希なら、この『重さ』に負けないと思ってさ」
私はごくりと喉を鳴らし、服を脱いだ。
痩せた体に、重厚な布地を纏っていく。
コルセットの紐を締め上げられるたび、肋骨がきしむ。
けれど、その圧迫感は不快じゃなかった。むしろ、頼りない私の輪郭を、物理的に補強してくれているような安心感があった。
鏡の前に座る。
メイクも変えた。アイラインを跳ね上げ、唇には血のように赤いルージュを引く。
ウィッグは、銀色に近いプラチナブロンドのロングヘア。
最後に、黒いヘッドドレスを頭に乗せた時、鏡の中にいたのは「未希」じゃなかった。
「……誰、これ」
思わず呟いた声は、少し低く響いた。
そこに映っているのは、病院のベッドで怯えていた女の子じゃない。
世界を冷たく見下ろすような、強くて、美しい魔女がいた。
「よし、完璧。行こうか、未希」
ユリがカーテンを開ける。
その先には、真っ白な光の世界(ホリゾント)が待っていた。
心臓が、早鐘を打っている。
でもそれは恐怖じゃない。これから始まる「儀式」への武者震いだ。
私は黒いスカートの裾を翻し、光の中へと足を踏み入れた。
Section 2:閃光の洗礼
撮影ブースの中央に立つ。
四方を白壁に囲まれたその場所は、影ひとつない無菌室のようだ。
私たちのために用意された、巨大なソフトボックスと照明機材が、無言の圧力で私を見つめている。
「いくよー。テスト!」
カメラを構えたユリの声。
私が頷いた瞬間。

――バシュッ!!
視界が真っ白に染まった。
強力なストロボの光が、私の肌を、網膜を、魂まで焼き尽くすように炸裂する。
一瞬の熱。
まばたきをすると、残像の中に青い光がチカチカと踊っていた。
「いい! 肌めっちゃ綺麗に出てる! そのまま目線こっち!」
バシュッ! バシュッ!
光の連打。
最初は体が強張っていた。
けれど、シャッター音がリズムを刻むにつれて、私の意識は奇妙なトランス状態へと落ちていった。
(もっと。もっと私を見て)
光が私を打つたびに、私の中にある「終わり」の予感や、身体の重さといった暗い影が、物理的に吹き飛ばされていく気がした。
1/200秒という極限の刹那。
その瞬間だけ、私は永遠になれる。
ポーズを変える。
黒いレース越しに、白い腕を伸ばす。
赤い唇を少し開いて、挑発するようにレンズを見据える。
「そう! 最高! 今の表情すごくいい!」
モニターに映し出された画像が目に入った。
そこには、現実の私よりも遥かに鮮烈な、物語の登場人物としての「私」が固定されていた。
発光するような白い肌と、漆黒のドレスのコントラスト。
それは、私が夢見ていた「神様」の姿そのものだった。
*
「……おっつかれー! いやー、撮れ高やばいね今日」
2時間の撮影を終え、私たちはスタジオのロビーでパイプ椅子に座り込んでいた。
心地よい疲労感が、手足の先まで充満している。
近くのコンビニで買ってきた冷たいペットボトルのお茶を、火照った頬に押し当てた。
「……ん、冷たい」
結露した水滴が、指先を濡らす。
その冷たさが、私を少しずつ「魔法の世界」から「現実」へと引き戻していく。
けれど、以前のような絶望的な落差はなかった。
カメラのSDカードの中には、確かに「最強の私」が保存されている。
その事実が、私の背骨を一本通してくれていた。
「これアップしたら、また通知止まらなくなっちゃうかもね」
ユリがいたずらっぽく笑う。
私はお茶を一口飲み下し、ニッと笑い返した。
「望むところだよ」
黒いドレスを脱いでも、魔法はもう解けない。
私は次のステージへ行く準備ができていた。
(つづく)